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信望厚い”キャップ”だった 高倉照幸氏死去 「残念でならない」西鉄OBや関係者から悼む声(西日本新聞)

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2018.02.13
 安部和春・ライオンズOB会幹事長(1963年のリーグ優勝時の胴上げ投手)「稲尾さんが亡くなった後、高倉さんがOB会を世話してくれた。若い世代へのバトンタッチも高倉さんとは話をしてきたが、若い人が表に出てくれるのが一番いい。これからもライオンズを語り続けていかなければならない」

 内山純男・西鉄ライオンズ研究会理事長(ライオンズの歴史を語り継ぐ活動を続けるNPO法人)「草創期に大活躍をされ、ライオンズを思う心は強かった。OB会の世話役として、西鉄OBが減っていくことを心配されていた。驚くとともに、残念でならない」

 松永一成・同理事「現役時代は初球を打つ積極的な打者だった。優れた野球センスがあったからこそだと思う。引退後は少年野球の指導に一生懸命で、新しい選手を育てるとの強い思いがあった。稲尾さんが亡くなった後、福岡在住のOBで一番のスター選手だった」

 基満男氏(西鉄OB)「黄金期のOBが多く亡くなって、本当に寂しそうだった。『基、おまえが頼りだぞ』とよく励ましてもらったことが忘れられない」

=2018/02/13付 西日本新聞朝刊=
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